美術教師 米谷義子のつぶやき
monthly essays


「hideの死---そしてA子のこと」   MAY 1998

元、X−JAPANのメンバーの一人、ヒデこと松本秀人氏が亡くなった。若く、未来があり、才能のある人が自ら命を絶ってしまうのはあまりにも痛ましい。
 長い間家にいた私が、仕事を再開してこの学校で初めて高1の美術を担当することになった時、教え子の一人が大変なX−JAPANのファンだった。4年前のことだ。仮にその子の名をA子としておこう。なかでもひでの事が大好きだということでいつも私に色々な話をしてくれた。メジャーになる前からのファンだったとも言っていた。私はXについての知識があまりなく、hide(ヒデ)を「これ、ハイドって読むの?」と言ったらA子に笑われたことがある。
 テーマを自由にした課題で、彼女はヒデの姿を油絵で描いた。迫力のある絵で、引き寄せられるものがり、今でもその赤や黒の色が印象に残っている。上手に出来たら、彼にプレゼントしたいとも言っていた。ところが高1の終わりごろから、やや欠席が増え、心配していたが高2になってますます状態が悪くなり、秋風が吹くころ、とうとうA子は学校をやめてしまった。A子はそれまで私に、複雑な家庭環境と、決して恵まれているとは言えない経済状態から、やむを得ずアルバイトをしなければならず、それが夜の時間帯ということもあって、学校に来るのがつらいとこぼしていた。でも、美術が大好きで卒業後は美術系専門学校に行きたいという夢も持っていた。出来れば力になってあげたかったが、何もしてあげることが出来ないまま、学校を去って行った事が悔やまれる。yone0001.gif
 その後、あたたく、優しい菊華の友人達は、時々A子に会って、励ましていた様子だった。私もその生徒達を通じて、A子の様子を聞くことが出来た。
 A子と同学年の生徒が卒業した春、私はA子に手紙を書いた。たまたま家で、整理をしていたら、A子が最後に私にくれたデザイン画が出てきて、その裏には「結局、学校をやめることになっちゃったけど、先生も元気でネ。美術の授業は楽しかったヨ。」と書かれていた。そのままとどまっていたら、(あと1年ちょっとの事なのに…)卒業の春を迎える事が出来ただろうにと涙があふれた。
 二週間たってA子から返事が来た。美しい文字で几帳面に書かれた手紙には、高校生の時からアルバイトを続けていて、とうとうその飲食関係の店で、正社員になれた事、仕事はきついこともあるけれど、まわりの人に助けられとても楽しく働いている事などが、面々とつづられていた。そして、卒業生の友人と是非食事をしに来て下さい、と結んであった。当時の同級生らはほとんど大学生、専門学校生になった。A子は在学中、そこそこ成績も良く、とてもしっかりした生徒だったので、社会に出ても粘り強く生きていける様には思っていたが、こんな素晴らしい巣立ちの春もあるのかと感動するとともに大変嬉しかった。
 今回、あんなに好きだったヒデの死で、A子はどうしているのだろうか。テレビのワイドショ−で度々大写しにされる悲しみに打ちひしがれたファンの女性の中にA子の姿をつい探してしまう。A子の決して幸福とは言えない思春期に、ヒデの存在は大きかったに違いない。悲しみを乗り越え、これからも前向きにたくましく、優しい女性に成長していって欲しい。いつもA子には陰ながらエールを送っていきたい。







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