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私がまだ小学4年生のころ、ちょうど今ごろの寒い季節に風邪で熱を出し、珍しく学校を休んでいた。退屈なので読みかけの本を読んだ。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』。当時の年令にしてはけっこう長い一冊を一気に読破した記憶がある。 川べりにお姉さんと遊びに来ていたアリスが時計を持って忙しそうに走るうさぎに出会い、ついて行くうちに波瀾万丈の冒険をする物語だ。いったいこの先はどうなるのだろうとハラハラドキドキしながら楽しみにページをめくった。アリスが小さなガラスびんに入って涙の池を渡ったり、きのこを食べてやたらと大きくなったり、三月うさぎといかれ帽子屋のパーティーにまぎれこんで飲んだり歌ったり。ふとした事からトランプの女王の逆鱗にふれ大勢の兵士に追われ、とうとう迷路の奥に追いつめられ、アリスピーンチ!…。とそこでおねえさんの声で目をさましたアリスがのたまう。「まあ、わたし、夢を見ていたのね。長くて不思議な夢だったわ。」(おわり) エッ?夢なの?そんなぁ。私はひどく落胆した。じょう舌ですばしっこい進行役のうさぎにすっかり騙された様な…。物語の最後をすべて夢でした、おしまい、じゃんじゃん…にするなんて大人はひどすぎる、あんまりだ、簡単に子供を騙すんじゃないよ。同時にそういう終わり方にしちゃえばどんな物語だって作ることができるじゃない、とも思った。今から思えばずいぶん生意気でかわいげのない子どもだったのかもしれない。さて過日、高1の課題でCDジャケットのデザインをやったが、70名中ただ一人だけクラシックを選んだ生徒がいた。曲は『くるみ割り人形』。バレエ衣装だけでの展開のさせ方が面白く、パステル調の表現も合っていたが、この物語も最後は夢で終わることを初めて知った。西洋にはこういった結末の物語が多いのだろうか。興味深いことである。 しかし今だに“夢でした”という終わり方は好きになれない。 年頭に思い描いた夢だけは、はかなく消えることのないようにと願う。 |