美術教師 米谷義子のつぶやき
monthly essays


「 地下室の仕事 」 JUNE 1999

 大学1年生の夏、初めてアルバイトを経験した。 受験勉強から解放され暇が出来たことが第一の理由だが、同世代の女性が 社会人としてどのように働いてるのかも見てみたかった。 求人広告を見て選んだのは新宿にある大手生命保険会社。意気場々と出掛けたものの 仕事内容は想像していたものとまるで違っていた。
 入口に「原簿課」と書かれた薄暗い地下にある部屋で、殺風景なスチールの書架が いくつも並んでいた。全国の保険契約書のファイルが五十音順に収められている。 大量の書類は古書の香りがした。ビルの上階から指令が来ると必要書類を目にも 止まらぬ速さで探し出し、ダストシュート状のパイプに入れて送り届けるのだ。 若いOL二人が得意気に素早く対応していたが、指示を受け完結するまでが 遅くとも一分前後。体育会系職人技とでもいうか、その流れる様な華麗な動きに 思わず見とれた。そしてそれは大きな会社の地下で確実な歯車として機能していた。
 アルバイト学生は私の他に二人いた。我々の仕事は返却されたファイルを元に戻すこと と、書類の点検と整理が主だった。少し慣れると検索もやらせてもらえたが、 正社員とは比べものにならない位愚図だった。OLさん達に監視されながら、 増々おろおろした。今なら考えられないことだろう。原簿のデーター等コンピュター 一台で済んでしまうだろうから・・・。単純作業の為か、天井のスピーカーからは 常に奇妙なBGMが流れっぱなしになっていた。 帰宅してからもそれが耳から離れずに困った程だ。学生のうちひとりは二日来ただけで やめてしまった。単純作業が面白くなかったのか、それともあの窓のない湿っぽく陰気な部屋が嫌だったのか・・・。
 原簿の並べ換えをしていて偶然知人の名を見付けた時は胸の鼓動が高鳴った。 見てはいけないものを見てしまった時のように。 十九歳の私には保険のからくりすらよく分からず、大量の紙きれが何万人かの 命と等価にも成り得ること、保証という名の金銭に成り変わる事など知るよしも なかった。そして何故か地下の原簿課は薄ら寒かった・・・夏なのに。        







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