
![]() |
オーストラリア レポート集 |
私は、海外研修へ行きたくさんの経験をすることができ、それは一生忘れることができない思い出になったと思います。印象的な事をこれから紹介しようと思います。 シドニーに到着し、私の緊張度と不安が高まりました。そして、バスで2時間の移動時間は、ますます私を恐怖のどん底へ落としていき、友達と話していないと不安でたまりませんでした。その恐怖も、ホストのアディとファザーとの車での会話でなくなり、ほっとしました。ホストファミリーは、とてもやさしい人達で、ゆっくり話しかけてくれたので理解することができました。また、弟のオランと妹のマディアンは、よく私を「遊ばないか」とさそってもらい遊びました。会話がなくてもすごく楽しかったです。ホストのアディは、ガールスカウトに入っているので、一緒に活動をして、すごく楽しい時間を過ごすことができました。ホストファザーとマザーが、ケンカをしている所を見て、私はどうなるのかと思いましたが、すぐに仲良く何もなかった顔をしていました。ホストファザーは、料理するのが好きで御飯のほとんどが、ファザーの作った料理でした。お米が御飯になるまでを見ていたらすごく驚いたことがあり、それは、電子レンジでこしょうと塩を入れて作っていたのです。味は、パサパサ御飯の味でした。私は、カレーをホストファミリーに作りましたが、カレーのとろみが出ず最悪の味をファミリーが、なぐさめてくださいました。すごくうれしかったです。別れの前日に、連れていってもらった動物園で、私はコアラやカンガルーを間近で見ることができ、感動しました。一番の思い出になりました。 最後に、私にこんな感動や楽しい思い出を作ることができたのは、学校の先生方、旅行会社の方、一緒に行った友達、そして、私の気持ちを理解して下さった両親、またホストファミリーに心からお礼を言いたいです。ありがとうございました。
私は、オーストラリアで過ごした15日間のことを、いつまでたっても忘れることはできない。そう言いきれるほど、この15日間の中で起こった出来事は、私にとっておおきな経験だった。きたこともない国、見たこともない人、慣れない生活、何もかも新しい発見の連続だった。はっきりいって、ホームステイは、今までこんな思いになったことがないというくらいつらかった。何度も何度も、どうして私はホームステイをしたいなんて言ったのかと後悔ばかりしていた。明日がくれば学校で友達に会えると思って、ただひたすらつらい気持ちを抑えてがんばった。学校に行くと、日本語で話しかけてくれる子がいたり、わからない英語を必死でききとって、知っている単語を一生懸命思い出しながら、なんとか答えたりして、とても楽しく過ごせた。でも、だんだん帰る時間が近づいてくると、やっぱり家に帰りたくなくてつらかった。家に帰れば、伝えたいことがあるけれど言葉が通じない、相談する相手や日本語を使えない、そんな不安や孤独がおしよせてきて、つらくてつらくて泣きながら寝た日もあった。でも、私は、励ましの手紙をくれたお姉ちゃん、がんばってこいよと言ってくれたお兄ちゃん、私のためにとためていたお金を出してくれた両親や「私がいるよ。一緒にがんばろう」と言ってくれた友達に支えられて、なんとか乗り越えることができた。つらい日々が続く中で、ダンスパーティは最高に楽しかった。異国の人だと忘れるくらいみんなの気持ちが一つになって踊った。何もかも忘れたくて踊った。そのダンスパーティで、はじめて日本に帰りたくないと思った。自分一人の力じゃ行くことのできなかった海外に、私はさまざまな経験を自分の目や肌で感じた。自分のことを真正面から見て、自分の限界を知り、やりたいことがみつかった様な気がする。出会ったたくさんの人に感謝したい。そして、つらいことを乗り越えた自分の勇気を、ずっと大切にしたいと思う。
シドニーから北へバスで2時間、ニューサウスウェルズ州にあるワーナーズベイハイスクールに到着した。そして私はホストのビッキーに会った。この時から、私の16年間の生活の中で最も充実した、輝いた11日間が始まった。 ビッキーは思っていたよりも小柄な女の子だった。妹のスーズィーとホストマザーを紹介してくれた後、ホストマザーの運転する車に乗って、家に向かった。車の中でホストマザーは私に色々質問した。リスニングテストに出てくるような簡単な英語なのだが、頭が混乱して何も答えられなくなってしまった。私の心の中に、「こんな中で2週間弱も生活できるのか」という不安が駆け巡った。しかし、その不安も次の日解消された。 その日は、いわゆる遠足で海へ行った。そこには、素晴らしい景色が広がっていて、私はその美しさを興奮しながらビッキーに伝えた。また、その日の夜は、ホストマザーとも沢山の事を話した。そして最後に「恵子の英語はとっても上手よ」とホストマザーは言ってくれた。この一言で私はとっても自信がついた。 その日から、私達はゲームをしたり、エレクトーンを弾いたり、ビデオを見たり、おしゃべりをしたりととても素晴らしい時間を過ごした。 あっという間に日が過ぎて、私が帰る日の朝になった。私の部屋で「恵子が来た日の事を思い出すわ」とホストマザーが言った。私も同じ気持ちだった。学校に着きバスが来た時、涙をふきながら「また来てね」とビッキーが言ってくれた。その姿を見て私も泣いてしまった。「もちろん」と答えたいが、涙で言葉にならなかった。私は大きくうなずいた。 私は必ずまた、オーストラリアに行く!それまで待っていてね、ビッキー。
『今日は今まで生きてきた中で一番楽しい夜だった』 八月一日の日記は、こう始まっている。ステイ十日目の、パーティがあった日だ。学校近くのブッシュバーンというお店で、歌ったり踊ったりのお別れパーティ。あの夜のことは、きっとずっと忘れない。 中学の時からの夢が叶った。短期留学、ホームステイ。期待と不安と、勇気を胸に日本を離れた。飛行機の中で、観光バスの中で、私の考えていることは初めに何を言うかだけだった。日本語でさえ初対面の時は言葉を選ぶのに、選ぶだけの言葉がない。ホストの子と会う時が近付くにつれ、私はどうしようもない位、焦っていた。呆気なく、その不安を砕いてくれたのは「はじめまして、今日は」の一言だった。こちらがNice to meet you.を口にする前に、向こうは日本語で挨拶をしてきてくれたのだ。 もちろん、ホストの子は殆ど日本語はわからない。私のホストは少し話すのが速くて、全然聞き取れない自分に驚いた。何度何度聞き返してもわからなかったり、間違った意味で聞き取ったり、と。日がたつにつて、少しずつわかるようにはなってきた。正しく答えることは出来なくても、同じように繰り返したり、ジェスチャーで表現したりして伝えた。いつの間にか、英語で話しているという観念が消えていた。 パーティの夜、私は色々な人に出会った。日本人とは全く違う、人なつこい人達と、これ以上ないくらいにはしゃいで笑った。 ホストファミリーと別れるのはそれから二日後。たぶん泣かないと思っていたのに、やっぱり泣いてしまった。英語では別れる時、さよならではなく、また会いましょうと言う。涙で言葉が出なかった時、ホストファザーはただ抱きしめて「また会える日を楽しみにしてるよ」と言ってくれた。私は尚更何も言えなくなってしまった。 ホームステイは、英語の勉強のためとは思わない。日本の英語は受験英語だし、会話的ではないから。この短期留学を通して、私は数え切れない程多くのことを得た。二度とないかもしれない経験をさせてくれた。ホストファミリーと先生と両親に、心からお礼を言いたい。
“Nice to meet you” この言葉から私のホームステイが始まりました。シェリーンは、金髪で青い目をしたとても優しそうな女の子でした。私はとても緊張していました。家へ向かう車の中でホストマザーにいろんな質問をされたけれど、なかなか会話が続きませんでした。家につくと、そこには妹のニコルがいました。 シェリーンとニコルはバスケのチームに入っていて、私もそのチームの練習に参加させてもらいました。私はそこで、学校に行く前から友達をつくることができました。 次の日から一緒に学校に行き、授業をうけました。とても自由でみんな楽しそうで、もちろん私も楽しかったです。シェリーンは、私がオーストラリアで沢山の友達をつくりたいというと、毎日友達を紹介してくれました。みんな明るくて楽しい子ですぐに仲良くなれました。 日がたつにつれて、英語や学校や家での生活にも慣れました。でもその頃にはお別れの日が近づいていました。 最後の日の夜、夕食を終えた後、突然電気が消えどうしたのかと思っていると、花火つきのケーキがでてきました。「これはバイバイケーキよ、ヨーコ」とホストマザーに言われました。その後に、ホストファーザーがプレゼントをくれました。うけとった瞬間、涙があふれてきました。 いよいよ別れる日がきてしまいました。私は朝からずっと泣きっぱなしでした。ホストファミリーもみんな泣いていました。私はお礼を言い、「絶対に忘れません。またここに戻ってきます」と約束しました。バスの中でもしばらく涙が止まりませんでした。 私はこの夏休みとてもいい経験ができました。両親に本当に感謝しています。いろいろなことが学べて本当によかったです。
シドニー空港に降り立った瞬間、『憧れのオーストラリアにきた!』という実感とこれから始まる生活への期待感で、私はとてもワクワクしていた。でも、stay初日は、英語ばかりの慣れない生活で、精神的に辛くて翌朝、学校で友達に会った時は安心したし、『まだ、Yes, Noでしか答えられない!』というのをきくと『不安なのは私だけじゃない』と、うれしくなった。2日目は、みんなでハイキングへ行った。この頃、私は、英語で話すことに恥ずかしさがあったけど、みんなでファミリーの子とかと話をしていくうちに、そんな思いはどこかえぶっとんでしまった。海は真っ青で、きれいだったし、足がつりそうになりながら、裸足で岩を渡ったり、海岸を歩いたりして、とても楽しかった。みんなで、シーソーで遊んではしゃいだりして『私はホントに16か?』なんて思うこともあったけど、彼らといると、自分が年上なんてことはすっかり忘れることができた。ワーナーズベイの子たちは本当にフレンドリーで、朝、私が登校すると『オハヨウ!』と日本語で話しかけてくれたし、ランチタイムの時も、みんなに囲まれて、いっぱい話をしたりもした。英語がわからないときもあったけど、そんなことは関係なかった。『仲良くなるのに言葉なんていらない』って、誰かが言ってたけど、その時、その意味が初めてわかった気がした。みんなでパーティーへも行った。みんなで踊ったりしてすごく盛りあがった。でも、お別れパーティーだったから『もう最後なんだ』と思うと寂しかった。そして、いよいよみんなと別れる時が来た。せっかく仲良くなれたみんなと離れるのはつらかった。でも、きっと、またいつか会えると思うし、その時までに、私の英語力をあげて、かれらといっぱい話をすることが、今からとても楽しみだ。17日間、日本では決してできなかった、いろいろな体験をすることができたと思う。 楽しいことや、それなりにつらいこともあったホームステイだったけど、本当に行ってよかったと、今、改めて思う。行かなかったら後悔していただろうし、みんなと出会うこともできなかった。「行く」か「行かないか」を決める時、不安に負けなくてよかった。やっぱり、こういう体験は、若いうちにしかできない貴重なことだと思うから。最後に、11日間も、世話のやける私の面倒をみてくれて、遊んでくれたファミリーの人たちと、お金を払ってくれた親に、感謝したい。
| '97 海外研修報告 | ● オーストラリア ● | ● ニュージーランド ● | |||
| スナップ集 | レポート集 | スナップ集 | レポート集 | ||